「死んだらどうなるのか?」
それを深く
考えたことがない
探求しないまま
生きて来た人は
最後は
不安と恐怖に
見舞われるかもしれません
家族もしかり
「死んだらおしまい」
「すべては終わり」
そう思っていたら
家族というのは
「悲劇」で
終わることになる
喪主の私には
ゆるぎない
「死生観」がある
それは
父との死別前から
家族に話していた
各自がどれくらい
それを落とし込んでいるか?
それはわからないけれど、
いずれにしても
太田家には死生観があった
どんな死生観か?
この世での死は
<卒業式>であり
あの世では
<入学式>
であるということ
つまり
この世での終わりは
あの世では始まりになる
ゴールは
スタートでもある
子どもが高校を卒業して
家を出て社会人となる
子どもとの別れは
親として寂しいこと
でもそれは
独り立ちという
喜ばしい自立でもある
そうした死生観が
確立されていると
死別は
「卒業式」
「新社会人生活スタート!」
おめでたい事と
考えることもできる
枕経(まくらぎょう)を
福元のお坊さんに
上げていただいた後、
御礼に
用意していた食べ物は・・・・
チョコレートケーキでした😊
愛犬シルクが
絶妙の舌出し😊
ケーキは
喪主の私が用意しました
大好物だった
チョコレートケーキ
おいしい!おいしい!と
食べておりました(^_^)
最後は、やっぱり
最愛の人に
ガブっと!!(^o^)/
そしてこの後
HAPPY BIRTHDAY
ならぬ
<HAPPY DEATHDAY>
全員で合掌、
いや
「合唱」
したのでした!
ハッピーデスデイ
トゥーユー♪
ハッピーデスデイ
トゥーユー ♪
ハッピーデスデイ
ディア まさたかく~ん(^^♪
ハッピーデスデイ
トゥーユー ー ♪♪
ネクタイも
ピンクに替えています😊
これは正式な
看取り士の仕事では
ありませんので誤解なく(^-^;
MOT(看取り太田東西)の
オプションです(^o^)/
死は
無になること
悲劇なことではありません
「旅立ち」の
言葉通り
卒業式であり
入学式なのです
これまでの
この世での
頑張りを労(ねぎら)い
これからの
あの世での
精進を信じて
見守っていくのです
あの世の父も
頑張る
この世の私も
頑張る
供に、お互いに
自分を養うことに
それがほんとうの
「供養」です