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麻亜耶とアシュールを
開発して
それぞれ
14年と7年が
経ちました
その誕生の礎(いしずえ)
になった処方が
<Phytorogenファイロトゲン>
ニチモウ株式会社さんと
20年前に創り上げた処方
薬局の沿革にアップ
していますが
創作した後、
精力的に全国を回って
勉強会を開催
講師をしていました
病気は
不安から起きる
何よりも患者を
安心させることが大切
それが
『母性』
であり
妻であり、母である
女性を安心させることが
本人だけではなく
その家族の
ひいては
社会全体の
「安心感」
につながる
太田東西薬局を開業して
5年前に確信したことを
ニチモウ株式会社とともに
啓蒙活動していました
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ほんとうによく
動いた、働いた30代(^_^;)
その活動も
諸々の出来事があり
私が40歳の時に
終了しました
終了した後、
ファイトロゲンよりも
『無償の愛』
『絶対安心の母性』
もっとそれを発露する
漢方食品を創り上げようと
練りにねって出来たのが
<麻亜耶>
その麻亜耶誕生の
きっかけは
<ファイトロゲン>
なのです
ファイトロゲンは
今でも処方していますが
ファイトロゲンには
“組織”がタグ付け
されているので
積極的には
使っていませんでした
でも、先月
ファイトロゲン復活の
“狼煙(のろし)”
というべきとこがあり
先日の上京最後の夜
ニチモウさんと
会食しました
一部上場企業の
ニチモウ株式会社の
松本社長とは
20年の付き合い
松本さんとファイトロゲンと
そのコンセプトを拡販する活動を
20年前にしていました
いわば“戦友”です
再びの再会(涙)
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以下、二人の会話
「ファイトロゲンが
20年続いていること
私が離れても
売れ続けていること
どうしてだと思います?」
「太田先生と一生懸命に
販促したというよりも、
その理念を
広めようとしていたこと、
それが今までの信用に
つながっていると思います
太田先生の当時の理念を
受け継いでいる先生方に
使ってもらっています」
「いい先生ばかりでしょ?」
「人格者の先生ばかりです」
流行品を求め、流行をもとに
売上げようとする先生たちは、
残っていない
病める相談者に
母親代わりになって
ファイトロゲンを用いて
安心感を与える
そうした先生たちが
今もファイトロゲンを
使ってくれている
嬉しい限りです。。。。😂😂
20年ぶりに
医療関係者向けの
<太田勉強会>
復活するかも(^^♪