3月は
受験した人にといっては
運命の月
桜の開花の時期に合わせる
結果発表のお知らせ
「桜散る」😞
「桜咲く」に向けて
努力したにもかかわらず
不合格の通知を受けた人には
お花見どころではない
そんな方々に
35年前の私の挫折経験が
お役に立てばと思います
35年前、22歳
高校受験、大学受験と
第一志望の学校に
現役で受かった自分
大学4年生の時、
病院薬剤師の夢を叶えるべく
狭き門の道に
チャレンジしました
受験先は
都内でも大病院
採用数3人に対して
受験者数200人
しかも
その3人は
男1女2
採用は
200分の1の確率
結果、
「桜咲く!!!」\(^o^)/
8月が受験日でしたが
12月には病院に勤める
同じ大学の先輩たちから
忘年会のお誘いも受けて
こう言われたのでした
「太田君、来年4月から
こちらも楽しみにしているよ」
1000床近い大病院の
病院薬剤師
念願の夢が叶った!!
しかも、
入職する前から
先輩たちから歓迎された!!
「TOP OF 有頂天」
といった感じでした
年が明け、無事に
卒業試験もパスして
後は国家試験のみ
クリアすればいい
国家試験(国試)の勉強も
ルンルン気分で
合格間違いなし😊
そんな2月下旬
就職課の課長から
呼び出されました
そして、
衝撃的な事実を耳にすることに
「太田君、落ち着いて聞いてくれ・・
とても急で、残念なことだけど
病院から採用取り消しの連絡があった」
頭が真っ白になりながら
「どうしてですか?」
尋ねると
「その理由を薬剤部長が
君に直接に話したいと言っている
どうする? 行きますか?」
「行きます」
ここで誤解なく
お話ししたいことは
法に触れるようなことは
誓って何もしていません(^-^;
採用が決まり、むしろ
おりこうさんにしていました
なのに、なぜ????😢
理由を聞いても
不採用は変わらない
むしろ、虚しく
なるだけではないか?
当時、よく腐らずに
その病院に行ったものだと
当時の自分を
ほめてあげたいですね
薬剤部長とは同じ
出身大学でした
新人の私にとても
期待してくれていたことは
先の忘年会で感じていました
深々と頭を下げられ
おっしゃいました
「ほんとうに申し訳ない・・
君から薬剤部長という私を見たら
憧れる存在かもしれないが、現に
太田君一人、採用できる権限もない
病院というヒエラルキーの
ピラミッド組織の中では
無力な存在だ
本来、口外できないことだけど
太田君には事実を話す
院長の“コネ”
コネの力に
実力は通用しない
ここは君の来る場所ではない
今、そう言われても
慰めとしか思えないかもしれないが、
太田君にはもっと世の中の為になる
薬剤師の道が用意されていると思う
ほんとうに申し訳ない・・・」
そのどでかい挫折体験から
9年後に太田東西薬局を立ち上げ
桜咲く来月には
26周年を迎えます🌸🌸
私の今の
健康と幸せは
太田東西薬局の
太田先生のおかげです!!
そう思ってくださっている
お客様がいたら・・・
やはりそれは
私を不採用にした
その院長のおかげなのです(笑)
いや、ホント
その事件が無ければ
太田東西薬局は
無かった!!
人生万事塞翁が馬
禍福は糾える縄の如し
ピンチはチャンス!!
桜が散った人たちには
そんなきれいごと
聞きたくない!と
受け入れ難い
格言かもしれませんが
大きく落ち込んでもいい
そこから這い上がれば
必ず、道は開ける
その道は、
運命というよりも
「宿命」
天賦の才を発揮できる
「天命の道」
“身を持って”
体験しましたから😊
去年、仕事もできないほどの
絶不調の病の体験も
きっと同じです・・・泣
自分を健康回復させようと
探求して出会った
ご縁の一つが
コパイバマリマリ&
ダイマン
コロ助感染騒動で
回復と予防に喜ばれている
アマゾンの薬草
同居する6人家族で
一人だけマリマリを
飲んでいた自分だけが
発症しなかった
あるお客様に
とても喜ばれましたが
それも私を不採用にした
「病院長のおかげ」です(笑)
昨年10月には
社長さんを招いて
勉強会もしたし
この時、実は
取材を受けていました
そして、今月
メーカーの季刊誌に
太田東西薬局が登場😊
しかも、この
挫折体験話とともに
吉野社長が書いた
原稿の校正依頼に
「出だし全部、20代の私の
挫折体験に変えてほしい」
お願いしました
だって、今
太田東西薬局があるのは
あの時、コネで落とされ、
天国から地獄に落とされても
腐らなかった
当時の自分の
おかげだから!\(^o^)/
この記事は
来月号の太田東西かわら版と
いっしょに配布します
35年前の辛く悲しい
出来事が無ければ
この写真⇩も
無かったのです😊
これ⇩とか、も( ̄▽ ̄;)
そうです、
麻亜耶もアシュールも
無かったのです!(涙)