長崎の薬局 太田東西薬局 東洋医学・漢方相談専門

沿革

2016年11月

Ashur(アシュール)発売記念に合わせて、再びソフィアさんを招いて講演会を開催する。今回は40名という限定で「公開セッション」を企画。婚活・就活をメインに女性の様々な悩みを突破していく考え方生き方を、ソフィアさんの実体験から学んだ。 涙・涙の講演会になったことが今でも懐かしい。それだけ公開セッション参加者は真剣だったということでありその何名かは、その後まもなく夢を叶えた。

2016年10月

長崎市から健康講演の依頼。演題は「病気知らずは不幸。病気をして真の幸福を知る」。誰でも病気はしたくない。
しかし病気知らずの人生が幸せであり、その人の人間性も素晴らしいとは限らない。むしろたくさんの病気を経験した人が、謙虚で思いやり深い人が多いと感じる。なぜなら病気を通じて自分の弱さに直面させられ、回復のために人の優しさを体験するから。そこに感謝・共感・慈しみといった 温かい心が得られる。同時に「予防意識」が身に付き、「最高の治療は予防にある」ことを自然に学ぶ。

2016年10月

歯科医師の池ノ谷和典先生(ありがとう歯科)と「口は災いの元」講演会を開催。詰め物の銀歯から様々な病気が引き起こされる懸念があること。口の中に重金属があるということは、そもそも不自然なこと。詰め物のイオン化・電磁波の影響で舌癌になった症例等を解説してくれた。外した銀歯の裏側の写真を見せていただいたが、そこには真っ黒いカビ(真菌)が繁殖していた。
金属をかぶせる治療は“完治”ではない。銀歯の寿命と弊害をご教示くださった。

2016年9月

病巣疾患学会で自験例を発表する。会場には300名近いドクターばかり。さすがに緊張したが自信を持って発表できた。なぜなら自分自身が経験した紛れもない事実の発表だから。
昭和時代の歯科治療(削る、抜く、かぶせる)。子ども向けのお菓子やジュース。昭和生まれの世代はおよそ その“被害者”であり、大半は歯のトラブルを抱えている。歯科の問題から全身に病気が発現している事実を広報していくために、自ら病巣感染(皮膚疾患)になったと考えている。

2016年7月

宮崎さんを訪ねる。生きるということは、自分自身を洞察していくこと。そこに自分にしか 発見できない比類ない感動がある。病気もそのためにある。ほんとうの自分(潜在意識、過去世など)を自分が理解して受け入れた時から、治癒も幸福も始まる。
宮崎さんはヒプノセラピー(催眠療法)を用いてクライアントをそこに導いていた。立場・手段は違っても自分自身に向き合ってもらう方針は太田東西薬局と同じだ。

2016年5月

久しぶりに感動した本が「ピュアバランス」。 心と体の関係。それは「魂」ともつながっている。西洋医学で言うところの難治性疾患(難病)を解決するヒントをこの本から得た。女優として華々しくデビューした著者の宮崎ますみさんも、人気絶頂の時から自分の方向性に疑問を持ち悩んでいた。芸能界、結婚、妊娠、子育て、ハワイ生活。これ以上の幸せはないだろうと思われる中での葛藤。それが乳がんにつながった。しかしその病気こそが、自分自身にたくさんの気づきを与えてくれた。病気は忌み嫌うものではなく、より良い人生へ転換するための貴重な出来事。世間ではとても受け入れられない考え方だが、私はストンと腑に落ちた。

2015年11月

久しぶりに薬剤師を対象とした勉強会を東京で行う。病院・薬局以外でも病気が治っている人たちもいる現実。
それを認めたくない、学ぼうとしない医療関係者は未だに多い。
ここでもソフィアさんに参加してもらい、病気を漢方とスピリチュアルの面から考察。「体の病気は、体だけの問題ではない」 受講された薬剤師のみなさんは、“目に見えない力”が作用している症例を素直に興味深く受け入れてくれた。

2015年10月

スピリチュアリルと仏教を対面させた講演会を開催。ソフィアさんを長崎に招き、牛尾さんのお寺をお借りしての対談が実現。前半はソフィアさんの人生体験談、後半はソフィアさんと牛尾さん両者に質疑をぶつけるスタイルで展開。「健康」「お金」「人間関係」でどん底に落ちない秘訣は何か?という問いに「感謝と祈りが人生を開く」。
どちらも同じ回答だった。病気・貧乏・家庭不和という不幸な出来事は、幸福な人生への道につながっている。「人生万事塞翁が馬」。
それを信じて、学んで努力精進して突破できるか? ソフィアさんは「すべては最高最善の方向に進んでいることに感謝します」。牛尾さんは「逆らわず、流されず。天命に祈って人事を尽くす」。参加者に金言を残してくれた。

2015年7月

「人には肉体の年齢だけではなく魂の年齢がある」というブログ記事をネットで見つけた。ソフィアエムートさん。スピリチュアルカウンセラーだった。ちょうど東京で7月に講演会があると目にして参加した。「目に見えないものが見える」「未来の災難を予期できる」。そんな超能力には興味ない。問題はその人が「どう生きて来て、今をどう生きているか?」だ。ソフィアさんは、世の中の不幸とされる虐待、病気、DV、離婚、借金負債などすべて経験していた。それを乗り越えて、娘2人を持つシングルマザーとして生きて来た根性に魅力を感じた。スピリチュアリストとしてではなく、様々な苦難を乗り越えて来た実話を薬局のお客様に聞かせてあげたいと思い、その場でオファーしたところ快諾してくださった。

2014年5月

妙玄さんを招き「女性の幸せな生き方」をテーマに講演会を行う。
当時、水戸黄門コスプレが我が家で流行っていて、妙玄さんにも着てもらった。打合せなしのサプライズ演出にもかかわらず、終始笑顔で周りを和ませてくれた。この講演会で特に感動した話がある。
散歩の途中、自分の犬をいつも叩いていた高齢者を目にしていた妙玄さんはその都度、心を痛ためていた。ある時、ついに我慢できずに言い放った。「叩くのは止めたらどうですか!動物虐待ですよ!」。
言われた相手は妙玄さんを、にらみ返して去って行った。ある日、その高齢者と犬が公園のベンチにいた。また叩いているのか?と様子を見ていたら、一人の女性が近寄って来て、「かわいいワンちゃんですね!お名前は?いくつですか?」尋ねていた。するとその飼い主は、犬を撫でながら笑顔で答えていた。妙玄さんはその光景を見て、正義感で人を裁くクセがある自分を大きく反省した。「北風と太陽」の話に通じる母性的な内容に感銘を受けた。

2011年2月

2011年に犬を飼い始めたことから関心を持った本。『ペットがあなたを選んだ理由』。素晴らしい内容だと感動したら、牛尾さん同様、著者はお坊さんだった。よりよく生きることは、「自らの死」「家族との死別」を抜きに語れない。塩田妙玄僧侶と太田東西薬局。
仕事は違っても、たどり着いた本質は同じだった。

本だけではなく、実物にも感動する(笑)。この時、長崎での講演会オファーを快諾していただく。

2010年7月

牛尾さん、市原さん、中川さんとのご縁から実現した講演会。時津カナリーホールは800名で満席。さすがに緊張したことを覚えている。

漢方家の立場で「こころと体の健康」を話す。

お母さん、なあ~に お母さんっていい匂い~♪の市原さんの弾き語りに過干渉お母さんを演じて会場をお盛り上げる。もはやそこに緊張も恥もない(笑)

講演会終了後の記念撮影。今でも全員とご縁がある。

2009年6月

某芸能人の覚せい剤事件で薬物依存者に関心を持つようになる。DARC(ダルク)。薬物依存回復センターに連絡して面会を依頼する。治療薬は時に依存薬になる。クスリはリスク。
薬物治療での完治が“明”なら薬物依存やオーバードースは“闇”。
薬剤師として“闇”の現実も忘れてはならない。

ダルク所長の中川賀雅さんとは初対面から意気投合する。
「ダメ絶対、その考えこそがダメ絶対!」。二人で作った標語で盛り上がる(笑)。違法薬物の抑止にはもっと厳罰を課すべき。
薬物依存者は自業自得で人間のクズ。そんな「裁く考え」だけで薬物依存問題の根本は解決しない。「どうしてこの人は覚せい剤に手を出したのか?」。事件という現象よりも、相手の立場に立ち、そうせざるを得なかった背景を考える。中川さんはじめ、ダルクの利用者から学んだことは、例外なく幼少期から安心できる自分の時間と居場所がなかったこと。無償の愛の充電がない生い立ちがある。

2009年5月

「母性と健康」を演題にマーヤ創立記念講演会を開催する。写真左は僧侶の福元泰成さん。右は市原さん。「神仏は根源なる母性です」と福元さんはおっしゃった。軽快な市原さんの司会進行の中、家族の健康と幸せを築き、世代につなげていくためには 「女性(母親)の心身の健康」が何よりも大切という結論に至る。

2009年4月

「安心感」「母なるもの」。音楽を通しても広めたいと考え麻亜耶のテーマ曲を音楽家の市原隆靖さん(いっちゃん)に依頼する。
完成した曲が『あなたがそばにいるだけで』。 市原さん初のアカペラ曲。CDは歌入り・カラオケ・オーボエの3演奏を収録。

2009年3月

「無償の愛」。自信を持って明るく生きていくために不可欠なものだと確信する。見返りを求めない人生を歩むことが出来れば、人間関係でイライラしたり 落ち込み過ぎることもない。すべてを認め、許す生き方。それこそが最高の良薬である。
その理念を掲げたマーヤ株式会社を立ち上げる。
無償の愛を生みだす漢方として「麻亜耶」を開発する。

2007年3月

理想と現実に大きく苦悩していた時に、書店で「母の匂い」という書籍に出会う。読了後「この人なら自分を理解してくれるかもしれない」と直感した。著者は牛尾日秀さん。お坊さんだったが、すぐに手紙を書き面談を申し込む。仏教に興味を持ち、勉強を始めた40歳。目に見える世界(体)から目に見えない世界(心)を追求する生き方に変わっていく。

2006年10月

血流計の勉強会では200名近い受講者が集まり、主催者から驚かれた。しかし、これを境に理想と現実に再び苦悩することになる。たくさんの医療従事者が集まり感謝された反面、一方では「アンチ太田」から誹謗中傷された。
思えばアンチ太田が増えたのは、「心と病の関係」を言い出した頃。
薬剤師の勉強会で「薬で病気は治らない。患者を治すという考えではなく、幸せに導くこと。そのための相談薬局であり、幸せに導けた時に病気の問題も解決している」という持論への反発。
当時の自分は正義感が強く、世間知らずで伝え方が不得手だったと思う。薬の勉強会なのに、「薬で病気は治らない」という姿勢に嫌悪感を持たれるのも無理もない。
薬局の仕事にも支障が出始め、「せんせ~最近お疲れ気味では?」
お客様たちにから心配される。相談を受ける立場として失格。
薬業界改革活動断念を決意。

2005年12月

勉強会の中でも一番印象深いのが、ニチモウ株式会社と開発したファイトロゲンの公開座談会。学校での授業のような一方向の勉強会ではなく様々な考え方を出し合う勉強会を企画。
その時の内容を記した本は、今読んでも迫力がある。
<自律神経―内分泌―免疫―血流―考え方生き方>という関係性に絶対の自信を持つ。

2003~2006年

37歳から39歳の間、最もタフに仕事をしていた。多い時は毎週末 東京、大阪、福岡、四国、沖縄に出張して勉強会の講師活動をしていた。「井の中の蛙大海を知らず」。自分の考えがどれだけ通用するのか? 人からの非難を恐れずに、堂々と人前で話せるようになったのはこの経験が大きい。

2003年7月

東洋医学の名医シリーズに選出された。なかなか理解されず、信用されずといった逆境に打ち勝ち、信念を持ってお客様一人一人に真摯に向き合って来た結果、評価をいただいたと思う。
「頑張って来てよかった!」「あの時の入院も有り難い出来事だった!」 そう素直に思えた。

2002年5月

開業5年目。閑古鳥はやっと飛び立っていった(笑)。

1998年8月

開業して1年半。1ヶ月間微熱と右頸部の腫脹疼痛で10日入院。昼間、近医に抗生剤の点滴を受けに通っていたが、軽快せずに観念する。「早く薬局を軌道に乗せるために、休むわけにはいかない!」「家族のために俺が頑張らなければ!」。そうした 自分を追い込む気負い、自分を信用してもらえないストレスからの発病だった。
この時、病室で涙したことをはっきりと覚えている。人生最大のピンチと挫折。しかし、この経験を通じて「まずは自分自身の体調管理から」と深く反省し「自分を焦らせる自分」を手放すことができた。
その後から不思議と口コミ紹介が増えて 実績・信用・売上が右肩上がりになっていく。

1998年4月

開業2年目の相談スペース。プライバシー確保の必要性を感じはじめる。

1997年7月

開業1年目。やる気はマンマン! しかしお客様は来ない…。

1997年4月

1997年4月15日。太田東西薬局オープン。

店内の様子。カウンターに貼っているのはオープンチラシ。

現在の相談室は当時調剤室だった。漢方エキス剤と煎じ生薬がたくさんあった。

今、カメの水槽がある場所が当時の相談スペースだった。

1996年9月

1996年 開業前年。薬局建設予定地にて。
当時は東京在住。地鎮祭のために帰省。
着工中は一度も帰省できず。しかし出来上がりには満足。

FAX: 095-850-6720
〒851-2211 長崎県長崎市京泊1-1-18