長崎の薬局 太田東西薬局 東洋医学・漢方相談専門

沿革 2020年5月~

2020年12月

父を看取った体験から本格的に「看取りの作法」を拡めたいと考え、日本看取り士会の胎内体感研修を受けることにした。別府での2泊3日。写真のように1m四方に仕切られたスペースの中で、母親のこと、父親のこと、体内の記憶をひたすら思い出す3日間。外出は1日30分のみ。スマホは没収。読書もできない。カーテンで閉ざされた部屋で内観のみで過ごす3日間は別府温泉さながらの“地獄”であった。母親への感謝の手紙、父親への感謝の手紙を1日に渡って綴る経験は、こうした日常生活を離れた環境でしかできないことであり、終了後その手紙を母親に渡して見せたら涙していた。日頃は親や子どもや配偶者に対して、感謝よりも不満を感じることが多いと思う。「自分がいかに愛され、大切にされたのか?」その記憶がよみがえって来た貴重な3日間であった。

“苦行”に耐えた結果、看取りステーションを立ち上げる資格・権利を得た。将来、「看取りステーション<マーヤ>」を運営する予定である。 

2020年11月

コロナ禍で、密になるスポーツやサークル・講座などがほとんど中止となりお客様方の運動不足が目立って来た。そんな中、コロナの影響を大きく受けなかったスポーツが「ゴルフ」。今こそ始めるタイミングだと未経験のお客様たちに声をかけ、<第1回太田東西ゴルフコンペ>を開催した。

うまくなること、勝敗を競い合うことが目的ではない。楽しむこと、笑うこと、何かに没頭して無心になること。そうした時間が心身の浄化となり、免疫力が高まり、やがて感染症はじめ病気を恐れない生き方になる。

2020年9月

東京の精神科病院で病棟薬剤師として勤務していた次男が、後継ぎになると決心してUターンして来た。これまでの23年間、妻と二人で営んできた太田東西薬局。変人薬剤師太田憲一の後継者は至難だと、妻も私も自覚していたが、身近で両親の姿を一番見てきたのは息子であり、息子ならできると確信した。

後継者になる動機は「両親を尊敬しているから」という息子の思い。とても嬉しかったと同時に、肩書・地位よりも「人を思いやる」という精神性を重視している息子の成長に感動した。太田東西薬局の2代目は息子しかいないが、初代父親の模倣はしない。それはお互いの考えであり、薬局に新しい機器を導入することにした。

波動測定器<ニュースキャン>を通じて、薬局のお客様に今まで以上に「自らの体を知り、自らの健康回復・増進を図ってほしい」というスタンス。その専任アドバイザーを太田進斗(ノブト)が担当することにした。

2020年7月

新型コロナウイルス対策で、不要不急の外出自粛が叫ばれる中、東京の義父を訪ねることにした。私にとっては”重要緊急”の外出。突然の訃報を受けて後悔したくなかったから。窓越しに屋外からの面談。義父が大好きなカステラとキャラメルを見せると、満面の笑みに変わった。話はできなかったけれど、終始ご機嫌顔で安堵した。

いつ終わるともわからない行政・施設の方針に従い続け、面会できないストレスで苦悩している薬局のお客様はたくさんいた。そんなお客様方に、我慢を続けるばかりではなく、こちらから施設側に懇願し、少しでも入所している家族と接点を持とうとする行動力・主体性を見せたかった。結果、何人かのお客様に「太田先生に励まされ、会うことが出来ました」と感謝された。

2020年5月

看取り士の資格を取得して最初に看取ったのは父だった。日本看取り士会柴田代表に習った通りに実行してみることを決意。しかしそれは初体験であり、慣例にないことであり、勇気のいることでもあった。一つ目は、終末の点滴が浮腫や痰などを生み出し、逆に苦しめることもあるというもの。看病・介護する家族としては、もはや食べられなくなった家族に対して、最後まで栄養補給してあげたいと願う。何もしなければ、衰弱して加速的に弱っていくと不安になるから。

亡くなる2週間前、在宅医に申し出た。「点滴、はずしてください」。在宅医から言われた。「ほんとうにいいのですか? 数日後になると思いますよ」。父のエンディングノートにも延命治療拒否の意思が記されていたので、すべての医療行為を中止した。すると、明らかに痰が減り、体が一回り小さくなった。弱ったように見えたが、浮腫傾向が軽減されたとわかった。呼吸も穏やかになり、自然な営みになったと感じた。在宅医・訪問看護師も驚く延命となった。

5月12日午後7時、自発呼吸で穏やかに昇天した。二つ目に習ったことは、すぐに火葬せずに、自宅で一緒に過ごすというもの。家族全員で遺体に触れる「看取りの作法」の実践。しかも、ドライアイスを使わないということで、葬儀屋にその意向を伝えると「せめてお腹だけでも」と言われ不思議がられた。

家族全員、看取り士の私を信じて、看取りの作法で寄り添った。

自らの死を持って、看取り士としての自信を持たせてくれた父。

長男もこの荘厳な体験から、翌年「看取り士」となった。

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